日々生活をしている中で色々な情報が入ってくる。
その情報の中で気になったこと、ちょっと書き留めておきたいことを載せていきたい。
中心は映画の感想。他にサッカーとか音楽・漫画とか…。
とにかく、色々感じたことを書き留めておく。
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 タイタンの戦い ◆ジャンル アクション/アドベンチャー/ファンタジー ◆監督 ルイ・ルテリエ ◆製作 ベイジル・イヴァニク ケヴィン・デラノイ ◆製作総指揮 リチャード・D・ザナック ◆脚本 トラヴィス・ビーチャム フィル・ヘイ マット・マンフレディ ◆オリジナル脚本 ビヴァリー・クロス ◆撮影 ピーター・メンジース・Jr ◆音楽 ラミン・ジャヴァディ ◆出演 サム・ワーシントン(ペルセウス) ジェマ・アータートン(イオ) マッツ・ミケルセン(ドラコ) アレクサ・ダヴァロス(アンドロメダ) ジェイソン・フレミング(カリボス/アクリシオス王) レイフ・ファインズ(ハデス) リーアム・ニーソン(ゼウス) キャッチコピー: 神も、魔物も、 そして運命さえも打ち負かせ。 評価:6点 あらすじ: (引用:シネマトゥデイ) 神々が世に君臨していたある時代。神々の王ゼウス(リーアム・ニーソン)の 息子として生まれたが、人間として育てられたペルセウス(サム・ワーシント ン)がいた。彼は世界を滅亡の危機から救うため、冥界の王ハデス(レイフ・ ファインズ)を倒す戦いの旅に出る。そこには、悪魔や獣といった強敵との死 闘が待っていた。 感想:ネタばれあり! ギリシャ神話に登場する「メドゥーサ」。「美貌の持ち主」と「目を見ると石 になってしまう」という程度の知識しか持ち合わせていません。 さて、「美貌だけど見てしまうと石になってしまう」この相反する二つの要素。 男の子として生を授かった僕は考察しなければなりません。 石になってでも美貌を見るのか? 美貌は見ずに生をまっとうするのか? あなたはどちらを選びますか?それとも、まったく違う方法を考えて「美貌鑑 賞」と「生のまっとう」を両方を欲張りますか? 僕は、臆病者なので「美貌は見ずに生をまっとう」を選びます。単純に「観る だけ」で、それ以外の付加価値が無いのであれば「生」を賭ける意味を見出す ことができませんでした。(付加価値はご想像にお任せします。) そんなメドゥーサさんに用事があった、ペルセウスさんは「まったく違う方法」 で対峙しました。鏡越しでメドゥーサさんを確認したのです。非常に、関心を したと同時に強い嫉妬を覚えました。「そんな方法がありなら、俺だってみた いわ!」という…。 冗談はさておき、映画のお話です。 1981年の「タイタンの戦い」をリメイクした作品で、監督は「トランスポータ ー」を手がけた「ルイ・レテリエ」さんです。トランスポーターは好きな映画 の1つなので期待しながらの映画でしたが、結論から言うと物足りなさを感じ てしまいました。 主人公となる「ペルセウス」さんのどっちつかずが非常にやきもきしました。 人間と神との間に産まれたペルセウスさんですが、育ちは人間界のため「人間 として戦う」というプライドを持つことに関しては共感できました。ただ、物 語の終盤にはそのプライドはどこに行ったのか?と強く問い詰めたいぐらいの コウモリ男ぶりを発揮します。 ・結局、聖剣を使うのかよ ・ヒロインをゼウスに生き返らせてもらってラブラブちゅっちゅするのかよ 誰かは忘れましたが「神の力を使わないせいで仲間が死んだじゃないか!」と いうニュアンスのことも言われてました。本当にその通りだと思います。人そ れぞれの価値観のため一概にも責めれないと思いますが、最後の最後に神の力 を利用するのだったら、初めから使えよと…。僕は思ってしまいました。 その他にも疑問が残る内容がありましたが、割愛したいと思います。共通して 言えるのは「物足りない」という印象を非常に感じました。 これだけのお話を2時間弱に押し込めると、どうしてもテンポよく進めないと いけないことになる。それが、物足りなさを感じさせる要因になっているのか もしれません。 『目には目を、歯には歯を、淡白には淡白を』 何を言っているのかよく分からないと思いますが…淡白な映画は淡白な心で鑑 賞しなさいという意味です。 淡白という言葉は解釈の仕方が難しいのですので少し例え話をしますのでお付 き合いください。 僕は、とある行為のときに淡白と揶揄されたことがあります。ただ、もし子作 りの過程として女の子の子供が欲しいときには「淡白」(=薄いと…)だと確 率が上がるらしいです。前者は明らかに「不満からくる言葉」(=批判的な淡白)、 がしかし、後者は「敢えて淡白にしている」(=狙った淡白)。 結論、この映画は「後者の狙った淡白!」ということなのです。非常に自己満 足な解釈の仕方ですが、敢えて淡白にした結果が「タイタンの戦い」というス トーリーになったのかなと…。 ということで、僕が求めていたのは「激しいセッ○ス」だったため、「不満か らくる言葉の淡白」になってしまったようです。敢えて淡白な映画観たいと思っ た方には面白いのではないでしょうか。 「淡白」の例え話が必要だったのか?は、甚だしい疑問ですが、自己満足して いるので後悔はしていません。 PR この記事にコメントする
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